「ちゃんとする」を手放すことで広がる世界
「ちゃんとしないと!」
この思い、どれだけ私たちを縛っているのでしょうか?
驚いたのは、この価値観が国や社会のステージから来ているという話。
日本社会が育む「ちゃんとしないと」の価値観
日本で生まれ育っただけで、
- 「ちゃんとしなきゃ」
- 「人に迷惑をかけないように」
- 「自分を犠牲にしても人のために」
こういった価値観が自然と染み込んでいるんですね。
私もこれにどっぷりハマっていた時期がありました。
子育ての中で感じた「ちゃんと」の重さ
昔は「子どものことは全部私がやらなきゃ!」と思い込んでいて、
子どもを預けるなんて…と思ってました。
でも、息苦しくなって初めて30分だけ預けて
散歩に出たときの羽がはえたような
あの開放感は今でも忘れられません。
帰ってすやすや寝てる息子の姿を見て
「ああ、もっと自由にしていいんだ」って気づけた瞬間でした。
仕事でも同じ「ちゃんと」の思い込み
仕事でも、体調が悪いときに
「急に休んだらいけない、、、迷惑をかける」という思い込みがありました。
でも、無理して出勤してもパフォーマンスが下がるだけ。
ちゃんと休んで回復したほうが、
結局、仕事もうまく回ることに気づきました。
「お母さんだからこうあるべき」に縛られた過去
子どもが生まれるまでは自由に生きてきたつもりだったのに、
子どもが生まれてからは
「お母さんだからこうあるべき」 に縛られて、
めちゃくちゃ苦しかった時期、特に育休の時がありました。
でも、少しずつその価値観を手放すことで、
世界が広がり、だいぶ楽になりました。
子ども預けて自分が同窓会にいくことや
お母さんになって汚れてもいい服しか着てなかったけど、自分が着たい服を買ってもいいとか、
お母さんになって自分が食べたいものじゃなくて子どもが食べれるものって選択肢だったけど、自分が食べたいものを選んでもいいとか、もう手放してきたことはまだまだ数十とある気がします。
あ〜たくさん縛られたな〜
「感情を抑え込む」という無意識のクセ
だいぶ解放してきたことがある反面
まだできてないかも、、、と思ったことが
「ネガティブな感情を人前で出してはいけない」という思い込み?
- 人前で泣いてはいけない
- 弱い自分を見せたくない
- 不機嫌を表に出してはいけない
いつも笑顔でいなきゃと思っているかも、、、
人前で不機嫌になるのはダメだと思ってるところも。
感情で思い出したことが、、、、
強さへの憧れと優しさの受け取り
私には「強くありたい」という憧れがあって、
それが「優しさ=弱さ」だと思い込んでいたかも?
起業してこの一年、サポートした方々から
「めっちゃ優しい!」 と言われることが増え、
今の今までその言葉を素直に受け取ることができずにいたかもしれない。
「私は優しくなんかない」って(笑)。
でも、今朝ふと気づいたんです。
「優しさも私の強みなのかもしれない」 って。
受け取る勇気と「いまここ」
強さへの憧れで気づけなかったけど、
「優しさ」も私の一部であり、大切な強み なのかも。
このSparkleという音声を聞きながら
「いまここ」で新しい自分に気づく毎日。
そんな気づきを今ブログに日々まとめてます。
何か手放したい「ちゃんと」がありますか?
それを手放せば、もっと自由で広がりのある世界が待っているかもしれませんよ〜